こちらのページでは、絵本「やましたくんはしゃべらない」と、激レアさんでも紹介された山下賢二さんの幼少時のエピソードについて、解説します。
本人による実話絵本「やましたくんはしゃべらない」
同じクラスの女の子「たかはしさん」目線で語られており、「やましたくんはどうするんだろう?」と素朴な気持ちが描かれます。でもしゃべらないことを責めたり、理由を言及したりはありません。ただ、そういうやましたくんのエピソードを淡々と描写されています。
中田いくみさんの線の細い絵で、繊細だけど、悲壮感はなく、なんだかすっきりとした雰囲気を作り出しています。全体的に他人目線からのやましたくんですが、ラストのシーンでは、やましたくんの思ったことが、雲形の吹き出しで書かれるなど、ちょっと漫画チックでもあります。
「やましたくんはしゃべらない」
- 作:山下賢二
- 絵:中田いくみ
- 出版社:岩崎書店
- 発行:2018年
山下氏が語る幼少時代
絵本ではわからなかった、ウラ話を解説します。
外でしゃべらなくなったきっかけは
山下さんが外でしゃべらなくなったのは、4歳のとき。幼稚園に入園するも、知らない人ばかりで突然のことでビックリし、嫌悪感さえ抱いたともいいます。そんな状況のなか、自己紹介をするということに。山下さんは、4月3日生まれとのことで、一番最初に言うことになったそうです。でも、声に出すことができず、ダンマリということになったそうです。
それから2日間、しゃべらずに居残りさせられるも、本人が意地になってきたせいか、それからずっとしゃべらず過ごすことになったそうです。小学校になってからも、意思表示はジェスチャーか筆談。笑うときも声を出さなかったとか。
しかし、これが不思議なことに、家では、家族と普通に会話をしていたそうです。3つ年上の兄とはよく遊んでいたそう。しかし、一歩外に出ると、口を利かないという生活は、小学校卒業まで9年間続きます。
場面緘黙とは?山下さんの過ごし方
こういった症例は、「緘黙(かんもく)」のひとつと考えられます。山下さんのような例は、「場面緘黙」といって、家庭では普通に会話できますが、学校や職場では、話すことが難しいとする人が、一定数いるようです。
大人たちは、山下君がしゃべられるよう様々に試していたそうです。「今日は先生とおしゃべりするまで帰れません」と言われ、泣いたこともあったとか。また、別の先生とは交換日記を書いたり、母親とは、毎週火曜の放課後、同じような症状の子たちがいる施設へカウンセリングを受けに行ったりしていたようです。こうして様々な手を試されたましたが、それをきっかけに、しゃべり始めるということはありませんでした。
実は、山下さんは当時、しゃべらないことで不自由は感じてはいなかったそう。
それは、しゃべれなくても、ひょうきんな性格で、友達とふざけあったりできていたからのようです。友だちの方も、しゃべれないということをそういうものとして受け止め、接していたそう。クラスでの居心地もよく、過ごせていたそうです。
山下氏はどうやって克服したのか
不自由は感じず過ごしていましたが、5年生になったある日、参観日にみんなの前で発表することになります。先生は前日に山下氏にカセットデッキを渡し、家で読んで録音してくるように勧めました。山下さんは、さんざん迷ったようですが、家族の勧めで、とりあえず作文の朗読を録音したそう。それを持参し、発表のとき。録音を再生すると、みんなが山下君を見つめる突き刺すような視線を痛切に感じたといいます。
そのうち高学年になると、中学生になったらさすがにこのままでは通用しないと思ったそうです。
そこで、自分を知らない土地に行きやり直そうとして、中学受験を試みたとか。しかし、学力が足らなかった上、面接のときに知っている子が後ろにいたため、声を出すことができなかった。結局、地元公立中学に入ることが決まり、ここで腹をくくったそう。
意を決して一言放った卒業式
卒業式の日、名前が呼ばれたところで、返事をすることにした山下さん。「ハイッ」と返事したものの、長年のクセのせいか、みんなに聞こえるような声ではなかったようです。言ったつもりだったその返事が聞こえなかった校長先生の「最後まで喋らんかったな」の言葉に、複雑な気持ちで卒業式は終わったそうです。
しかし、中学入学すると、今まで知っている人は何だったのか、というほど、普通にしゃべるようになったそうです。
現在は、書店経営や書籍編集をする仕事をされています。テレビで自分の体験を語るなど、その姿からは、小学生時代全くしゃべらなかったということを感じさせません。
現在の山下さんの活動は別ページにて紹介しています↓
やましたくんはしゃべらない まとめ
緘黙の人には、様々な原因や性格の人がいると思います。今回、山下さんは、ひょうきんな性格だったため、しゃべらないことが不自由になることもなく、居心地良く過ごされていました。そして友達も、それを受け止めていました、みんながみんなそうではないとは思いますが、そんなものとして受け止める、周りの対応も素敵でした。
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